エッへん、悦楽の時・・・

【痩せ尾根を歩いていると眩しい光が差してきた】

 この山遊伝を綴るにあたり、かなり迷いました。
ドキュメントで伝えるべきか、そうしない方がいいか・・・
事態はかなり深刻なものでした。

 今振り返れば「なるべくしてなった」のですが、当事者の選択と待つ身の感じ方、それに伴う責任の発生と義務の履行。

 今回の山遊伝は、自戒の念を敢えて公表することで、同じ過ちを二度と起こさないと誓うと同時に、何かの折に、私と同じようなトライアルをされる方がいらっしゃれば、同じ轍を踏んでいただくことがないように・・・と言う思いを込め、ほぼドキュメントをアップ致しました。
 
 ご覧になった皆さまにおかれましては、忌憚のないご意見,、ご感想を頂戴できれば嬉しく思います。

 今回の山歩きは、禁猟期に日帰りで、キノコを採りながら、奇岩で遊んで帰る・・・釣りが出来なくても渓は楽しい!って遊びをしよう(その模様をメインに『新 源流紀行』の掲載記事を書こうと思ったと言うのが正直な動機である。

 前日深夜に車止めに到着し、イッパイやって眠りに付いた。翌朝、06:00前に目が覚め、朝飯をカッ食らって、ザックを背負った。
 朝露の残る斜面を降り、大井川支流赤石沢河原に降り立つ。思ったより水量が多く(とは言いながらも膝下程度である)、スボンを濡らしながら渡渉した。

 赤石沢と本流の合流点から数分上流に歩き、所の沢左岸の斜面に取り付いた。

【南アルプスの紅葉は所々で始まっていた】


【ランチの場所を出発するシーン】
 もともとこの所の沢左岸の山登り、「どこまで行こう」と言うことは決まっていなかった。「キノコを採りながら、それでも標高2,000m程度まで登ったら、適当に所の沢に向かって降り、名所を巡って帰ろう」程度のものだった。
 したがって、往路と言うか登りは、苦楽は別にし、植生やキノコ、紅葉を見ながらの楽しい山登りだった。

 ここで、オイラとみっちゃんのこの山(沢)に関する情報を綴る。オイラはこの沢自体が全くの初体験。みっちゃんは、以前、この沢の名所と呼ばれる場所には一度来ているものの、今回の標高までは初体験。したがって、みっちゃんの知っている場所まで降りて初めて、みっちゃんの経験済みゾーン、それを頼ってのオイラの行動となり、逆に言えば、みっちゃんの体験ゾーンまでは両者とも未体験ゾーンなのである。

 時間的に「ボチボチ下ろうか」と言う稜線を歩いていたので、「降りるには尾根線がいい」と痩せ尾根を降り、辿り着いた所の沢の流れ。河原でビールと握り飯で空きっ腹を満たし、しばしの休憩の後、水通しで降り始める。



【痩せ尾根でチャナメツムタケをとる】


【痩せ尾根途中のワンシーン】

 この辺りまでは正直、余裕があったというか、危機感が全くなかった。何事もなく、車止めに着けるだろうと思っていた。

 右の写真は恐らく熊であろう。水飲み場になった水溜りの手前に足跡が残っていた。写真では足跡が見難いのが残念だが、みっちゃんと「熊だよなぁ・・・」と言い合った。




 こうして、懸垂下降を繰り返していくうちに、片斜面の岩肌では、傾斜にザイルを取られてしまい、思わぬ方向に体が振られて沈したシーンもあった。
 後から分かったことであるが、水に濡れることは言ってみれば“寒いだけ”で、さして支障がない。寒ければ火を燃せばいいのである。濡れることを恐れてリスクが高まるのであれば、水濡れの方が安全なのである。
 

【砂利部両端の凹みが熊の足跡だろう】


 こうして目当ての名所No.1まできた。
通称“堰堤”と言われる場所で、巨大な一枚岩が壁を作っており、渓水が流れ落ちている。ここをクリアして、さらに下流に“メガネ橋”と言われる、一枚岩が水流で刳り貫かれた場所なのだが、水通しで行こうか、一度山肌を登って下りなおすか・・・オイラたちは後者を選択した。



 途中、青テープを通り過ぎた。
どうやら感じが違うと引き返したが、元の青テープの場所には戻れず、その痩せ尾根を通り越して、斜面を下っていた。

 
ここが大きなターニングポイントだった。
青テープのポイントに対する感性がなさ過ぎた。
 懸垂下降のレッスンは続いた。
みっちゃんから、物々交換でハーネス・カラビナ・8環、そしてシュリンゲまで手に入れたのだが、1人では使えないし・・・と言う状況を、みっちゃんが変えてくれた。
そう、何よりも実践である。

 連続した懸垂下降は、オイラなりに大いに練習になった。ザイルの垂らし方、自己確保の仕方、シュリンゲの長さと自己確保の方法、ザイルが走って発生する落石のリスクなど、目から鱗の話がほとんどだった。
 






 山肌を降りていた。
途中、どうしても懸垂下降でなければ降りられない岩壁になった。再三、懸垂下降を繰り返してきたので、ここぞとばかりに準備をする。3ピッチ目の懸垂に入ったときであった。徐々に、陽が落ちてきていた。

 先行していたのは師匠みっちゃんである。
オイラは支点でみっちゃんのGoサインを待っていた。
どのくらい待っただろうか・・・「オゥ〜ケェ〜イッ」と呼ぶはずのみっちゃんからの声が一向に聞こえてこない。

みっちゃんは何してるんだろう?
   ↓
ボチボチ、声がかかるだろう
   ↓
まだかな?トラブルじゃないよな?
   ↓
オイラから
「オ〜イッ」
   ↓
みっちゃん「オ〜イッ」

 このやり取りを何度、繰り返しただろうか?
   
 オイラの眼下でみっちゃんのヘッドランプが左右に走る。2往復したかな?そこで、音が消えた。
まさか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 オイラもうら寂しくて、心細くなってきた。
心なしか、力がなくなったみっちゃんの声と、辛うじて交信できるような状況が続いた。はやく、みっちゃんの顔が見たかったから、懸垂下降していいか?と何度も聞いたが、答えはNoだった。
 上で待つオイラが、「今までより、明かりが遠くなったな」と感じたそれは、みっちゃんが、ザックから手探りでザイルを引き出そうとしてヘッドランプを落としたためだった・・・と言うことを後から知った。
 みっちゃんは、岩から生える草の根元を支点に自分の身体を確保し、斜面に降りる算段をしていた。
 その前には登高機で登り返しを試みたとのことだが、もう、握力が足りなかった。

 ようやく、みっちゃんからOKが出た後、オイラは懸垂下降を始めたのだ。途中、登高機とシュリンゲが絡んでしまい、着地点まで2b程の高さで、宙吊りになってしまった。
 狭いテラスで休憩を取ろうと、ザイルを振り子のようにしてトライするが、体力を消耗しただけで終わった。
 最後、絡まったシュリンゲをナイフで切って、斜面に着地。ナイフの刃が顔の方を向いていれば、目の辺りをザックリやってしまっていたかもしれない。不幸中の幸いだった。

 
二人が顔を合わせて話が出来た時には、すっかり暗くなっていた。この時点で、 選択肢は、ヘッドランプをつけて下るか、ビバークするかの二つに一つである。

 
しばし無言の時間があった。
無理して帰って怪我するリスクを背負うか、ビバークして明日、家族に叱られ、職場でグシャグシャに言われるか・・・

 
結果、この焚き火となった。
焚き火の向こうには、たくさんの顔が浮かんだ。
本当に何度も何度も、たくさんの顔が話しかけてきた。





この間、いろいろ考えた。
けど、何をどう考えたのか、はっきり覚えていない。
でも、現実は現実として、ビバークしている自分にのしかかってきた。
本当は今頃、山で採ったキノコを、家で子どもたちに説明しながら、
イッパイやっているはずだった。
その予定と現実の違いに、腹が立った。情けなかった。申し訳なかった。

寝たり、起きたり、眠れなかったり、うっかり寝てしまったり・・・
それを何回繰り返したか・・・

日が変わってからは焚き火がないと眠れないほど寒かった。
朝方、本当に寒かったが、ヘッドランプとカッパを持っていたことが幸いした。
焚き火で手元が明るくなる、カッパが風を通さない、防寒具である、ということが、どれだけありがたいか・・・

この焚き火は、一生忘れられない炎になる。





明けて、月曜日の朝、陽が昇るのが待ち遠しかった。
もとより眠れていないので、疲れているはずなのだが、一刻も早く帰りたかった。
遠く下流部にはすでに陽が当たっているのに、オイラ達がいる場所だけ、
太陽が無視しているように明るくならないように感じた。

痩せ尾根を見つけ、合流点まで降りると、尺アマゴのペアリングを見ることが出来た。
複雑な心境だったが、日常的に、自然に生きる彼らの営みとオイラたちの非日常で
起こったアクシデントのスケールの違いを、今更ながらに感じざるを得なかった。

仲間が「遊びで死んじゃいけない」と言っていたことを思い出しながらの下山であったが、
今回、みっちゃんがいなければ、どうなったことか・・・

この山歩き、正直、軽い気持ちで出掛けてものだった。
「釣りのオフシーズンに山歩きしながら、キノコでも採って、稜線でイッパイ飲んで帰りましょう」
なんて呑気なことを言いながら、歩いていたのだった。

招いた結果は最悪の一歩手前。
計画段階から無理があったと言うことに最後になって気がついた。計画が杜撰すぎたし、安直すぎた。
計画している間は、まさかこんな結末になろうとは思いもしなかった。
甘ちゃんかもしれないが、それが、山ってものなのだろうか・・・そうに違いない、と思った。

やはり、山に行ったら「今帰ったよ!山は楽しかったよ。今度は一緒に行こう!」
って、家族に言いたいものだ・・・とつくづく思った。


改めて自分の軽率さと仲間の大切さを思い知った山歩きでした。



>>>>>> 付 記 <<<<<<

今回も形見分けで頂いたカッパからオイラに「死ぬなよ」と強烈な
メッセージを送り続けてくれた故川上さんが代表を務めていた“根がかりクラブ”の
20周年記念誌『根がかりの釣り』に寄稿した“岩遊”代表の豊野氏のメッセージ。
「妻に感謝しよう」というタイトルで綴られた文章だった。
「いい年したオヤジが家族を顧みずに渓遊びが出来るのは妻のおかげでしょうに!」
と言うものだった。その通りである。

今回、家族をはじめ、本当にたくさんの方に迷惑を掛けてしまった。
「遊び」と言う範疇で人に心配を掛けた・・・不本意だった。

山遊びは、もとより、街遊びよりもリスクは高いものなのかもしれない。
山遊びをする当人はそう思っていないのだが、送り出す家族は、そうじゃない。
「車に轢かれる確立よりも、山の方が事故になる確率は低いよ」などと
安心させたいのか、自分の行動を正当化したいのか、そんな言い訳がましい言葉を残して
夜な夜な家を出た。でも、今思えば、それもこれ、「無事に家に帰ってくる」と言う
前提なくしてあり得ないのである。

「もう山には行かないで!って言いたいけど、それも無理でしょう・・・」って言ってくれた
女房に感謝である。でも、その顔には「もう心配させないで。この次やったら・・・」と書いてある。
この女房の期待と言うか、信頼を裏切らないように、安全に楽しく山を楽しもう。

そう誓った、2006年の秋でした。

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