【釣行日】 1999年9月11日(土)
【気 温】 ?℃(AM7:00)
【水 温】 17.0℃(AM7:00)
【同行者】 大内伸之氏・大石泰三氏・新美正彦氏・上村氏
チャリーン、チャリーン
釣りを終え、車止めでビールを飲んでいると、この音がした。前にも聞いたことのある音だ。
メリヤスのシャツ、長靴、傘、杖・・・色白のおじさんである。そうだ!先月、大内と来て、
着替えしている時に出くわした人である。その時はこう言っていた・・・
下の方が崩れたから、上の方がいいじゃない?上の方が。
さて、今年3回目のこの渓である。
そして釣行歴の中で初の“5人釣行”である。
土曜日の夜、最も早く車止めについたのはオイラ。時計は22:45。前回は意表を突いて先行者がいたが、
今回は“○”である。早速ドカシーを広げ、七輪に火を付け、一人宴会の準備。
この後大内氏、泰三、新美、上村と続々と集まってくるので、彼らを礼儀正しくお迎えするマナーである。
七輪の上では、おくらベーコン、椎茸、いしづき、豚ガツが踊り、一人宴会である。
間もなくフォレスターで大内氏が登場!
ここで夏休み大内氏が東北に行ったときのお土産“金木町のスルメ”が七輪を彩る。
大内氏の東北お土産話で酒を交わしつつ、大瓶3本のキリンラガーが開いてしまった。
時計の針は翌日の1:30であった。
そろそろ来るはずの3人がなかなか来ない。気長に待つが、オイラも眠い。うつらうつらしていると、
ランカスターサウンドが近づいてきた。
間違いない、新美のSUBARUである。でも、すでにオイラはかなり睡魔にとりつかれており、
「上村のせいで遅くなった」という会話をかすかに覚えているだけで、深い眠りについていた。
写真:深夜の車止め
夜中に2台の車両が車止めまで来た。しかし、レオーネとフォレスターとランカスターが 3台停まっていれば帰らざるを得ない。いずれも寂しげなエンジン音を残し、林道を戻っていった。 しかも、小雨の中、小バカ宴会を行った“夢の後”が残っているので、4:00・・・入渓するとどうしてもこの時間には目が覚めてしまう。みんなはまだ深い眠りの中である。 起こすのもはばかられるので、こっそり自分一人で入経の準備をする。時間が経つに連れて、 “みんなが本当に起きてこないと困っちゃう光線”を送るが、全員揃ったのが、5時過ぎ。 いよいよ出発である。昼飯、ビール・・・欠かさずパッキングし、歩道を下る。
今回の釣行、途中まで全く釣果ナシ!
写真:渡河準備の新美&上村
以前の大水で、相当底がえぐられているらしく、渇水のこの日も
泳ぎを余儀なくされる。
オイラは何ともないが、各人ためらいと逡巡で足が進まない。オイラはどんどん泳いでしまったので、
みんなも泳がざるを得ない状況となってしまった(皆さんごめんなさい)。
とは言うものの、ここまで全然釣れないので、その上にはきっとイイ世界が待っているだろう、
と思ってきたのであるが・・・
ヴァティッッッ!
突然の鈍い音。振り返ると新美が流血して、倒れている。察するにただならぬ事態
である。転倒した際に眼鏡の柄で右眼球脇を切り、釣りどころではない!ので、ここで納竿。
写真:泰三氏新品ウェーダー
思えば、今回の釣行は、災難続きであった。
この写真はその象徴と言える。
泰三氏はこの日のために、ウェーダーを新調したのであるが、写真の通り“裂けて”しまった。
しかも、歩き出す前、着替えをしている時、すでにこの状態であった!
放尿Automatic等と言っていたが、
それだけでは勿体ない5,000円である。
写真:貧果にショゲて着替える
この光景が今回の釣行の全てを物語る。 魚の独り言
あんたの釣果も乾いておるが、こっちの渇水はもっと深刻やで!
ここでヤケ酒を飲んでいると、副水槽の管理人であろう、あの
チャリーン、チャリーンおじさん
が林道から上がってきた。そこで一言。
コンマ4しかないだから・・・
水位である。何と通常の1/3の40aしかないそうだ。
これじゃ釣果を望むすべもなかったのである。
今回の釣行では、
ということが判明した。
そうだ!今後は“リベンジ”等という考え方をやめ、素直に渓と向き合おう!